群馬県に住んでいた頃、私は時々、不思議に思うことがあった。
なぜか「創価学会」という言葉を聞く機会が、他県より少し多い気がしたのだ。
もちろん、これはあくまで自分の生活圏や人間関係の中で感じた印象であり、群馬県全体を語れる話ではない。
だが、生活していると、地域ごとに独特の空気というものは確かに存在する。
私は出会い系や婚活アプリを使っている時も、その「地域ごとの空気」を感じることがあった。
たとえば、プロフィールに宗教を直接書く人は少ない。
しかし、会話をしていると、「価値観」や「コミュニティ感覚」が見えてくることがある。
地方では特に、人とのつながりが濃い。
東京のように完全匿名で生きる感覚とは違い、
- 親戚
- 地元
- 同級生
- 仕事仲間
- 地域コミュニティ
などが重なっている。
その中で、宗教団体もひとつのコミュニティとして存在しているのだろうと思った。
群馬は“横のつながり”を感じやすい
群馬にいた時、私は「人づて」の話をよく聞いた。
「あの人、知り合いらしいよ」
「どこどこの集まりで会った」
「昔からのつながりがある」
そういう話が多い。
だからこそ、何かの団体やコミュニティが地域に根付くと、存在感が出やすいのかもしれない。
もちろん、創価学会だけではない。
地域にはいろいろな集まりがある。
スポーツ。
会社。
町内会。
政治。
趣味。
人は結局、一人では生きづらい。
だからどこかに所属する。
出会い系でも「価値観」は見えてくる
私はハッピーメールや、マリッシュなどを見ていても、「価値観の違い」は感じることがあった。
プロフィールだけでは分からない。
だが、
- 家族観
- 人との距離感
- 礼儀
- 考え方
- 人付き合い
には、その人が生きてきた環境が少し出る。
群馬の人は、比較的人情的だと感じることもあった。
もちろん全員ではない。
しかし、都会より「人との距離」が近い感覚はあった。
だからコミュニティ文化も残りやすいのかもしれない。
宗教そのものより、「孤独」の方が気になる
最近思う。
人はなぜ、コミュニティを求めるのだろう。
宗教だけではない。
SNS。
婚活アプリ。
オンラインサロン。
会社。
推し活。
全部、「つながり」を探しているようにも見える。
特に50代になると、その感覚は強くなる。
若い頃は勢いで人間関係ができる。
しかし年齢を重ねると、人は急に孤独になる。
だから、
- 誰かと話したい
- 誰かに必要とされたい
- 居場所が欲しい
そういう感情が出てくる。
出会い系をやっていても、それを感じる。
恋愛だけではない。
「孤独を埋めたい」という空気がある。
群馬という場所
群馬は、東京とも違う。
完全な田舎でもない。
しかし、人との距離感は都会より近い。
だからこそ、
- 地域性
- コミュニティ
- 人のつながり
が見えやすいのかもしれない。
私は時々、そんなことを考える。
創価学会と群馬県に特別な関係がある、と断定できるわけではない。
ただ、地域コミュニティが比較的強い土地柄だからこそ、存在感を感じる人がいるのかもしれない。
出会い系をやると、“人間そのもの”が見えてくる
結局、出会い系や婚活アプリを続けていると、恋愛だけではなく、人間そのものが見えてくる。
孤独。
つながり。
承認欲求。
安心感。
居場所。
人は、誰かと関わりながら生きている。
そして群馬という土地にも、独特の人間関係の空気がある。
私はそれを、出会い系を通して少し感じた気がした。


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