あの日、俺は眠れなかった。好きな女の子からの連絡が数日止まっていて、既読も付かないまま夜が更け、ベッドの中でスクロールだけが親指を動かしていた。SNSって便利なのに、時に残酷だ。誰かのストーリーや足跡がリアルよりも重く心を揺らす。
時計は午前4時。部屋は真っ暗でスマホだけが青白く光っていた。ふとTikTokを開くと、通知が一つ。「〇〇さんがオンラインになりました」。寝ぼけた目をこすった瞬間、信じられないことが起きた。数秒後に俺のプロフィール閲覧通知が来たのだ。
心臓が跳ねた。「え、なんでこの時間に?」
眠気は一瞬で消え、胸の奥が熱くなる。
返信は来ないのに、ログインして即俺のページに来る。
これはどういう意味なのか。
「気になってるけど連絡する勇気がない?」
「私の存在にまだ気づいててほしい?」
「寂しくなって覗きに来た?」
考え始めたら止まらない。恋ってこういう小さな反応で一喜一憂する。笑えるほど単純だ。でも、その単純さの中に本音が隠れている気もした。
俺は意図的に何も送らなかった。既読が付かないことに焦り、追いかけるようにメッセージを送るのは逆効果かもしれないと思ったからだ。SNSの足跡やオンライン表示は「沈黙の会話」だ。声は届いていなくても、お互いの存在はどこかで確認している。
翌日、俺はTikTokに軽い動画を投稿した。深く考えず、ただ自分の好きなコーヒーを淹れているだけの動画。その数分後に、彼女が閲覧。「いいね」は押されなかったけれど、見てくれた。それだけで十分だった。
ブロックでも無視でもなく、ゆるく繋がっている。
恋の温度がゼロじゃないことが、画面越しに確認できた。
友人に相談すると「脈あるな」と言う人もいれば、「ただの暇つぶし」と笑う人もいる。どちらも正解かもしれない。でも俺の中ではひとつ確かなことがあった。
彼女は完全に俺を切ってはいない。
興味が少し残っているからこそ、早朝にログインして覗きに来るのだと信じたかった。
とはいえ、ここで舞い上がるのは危険だ。恋は追いかけすぎると逃げる。だから俺は距離を保つことにした。押さず、引きすぎず、彼女が見たい時に見られる位置に立つ。それが今できる最善のスタンスだと思った。
その後、俺はゆっくり進むようにメッセージを送った。
「昨日TikTok見てくれてありがとう。元気?」
返事はすぐには来なかった。でも数日後、ふわっとした文面で返事が届いた。
「動画、コーヒーおいしそうだった😊」
その一文だけで心が満たされた。
SNSの世界は時に遠回りで、曖昧で、面倒くさい。でも、その曖昧さの中にしか生まれない関係もある。早朝4時に俺のアカウントを見に来た彼女の気持ちが「少し気になってる」なのか「なんとなく」なのかは分からない。だけど、まだ終わっていない恋がそこにある。
恋はメッセージの数じゃない。接触の形でもない。
心の向き合い方と、距離のとり方で変わる。
今日もTikTokを開く。通知がなくても、ログイン履歴がなくても、焦らなくていい。
いつか4時じゃなく昼に見に来てくれる日が来たら、その時は笑って話そう。
「おはよう」じゃなく、「ひさしぶり」と。


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